夏になっていた

家に帰ってきたら夏になっていた。戸惑う。部屋着を半袖にし、掛け布団の毛布を持て余した。扇風機を出して、明日の仕事は何を着て行ったらよいか悩んでいる。

こうなってくると本格的に、冬物が色あせて見える。五年着ているコートも毛布も、毛玉を我慢して着ていたセーターもいっそ全部捨ててしまいたい。

明日着る服もないが、昨日まで着ていた服は捨てたい。困る。

悩みは虫刺されくらい

この連休はずっと旅行だが、旅先での体調がすこぶる良い。健康である。さらに、ニホンでは毎日あんなにミルミルやらラブレやらヨーグルトやらを食して快便に努めては叶わぬ日々を過ごしていたのに、こちらでは何もせずに、ドカン、であるよ。スリムにはなっていないが、スリムドカンである。ますます帰りたくない。

ボロ

旅行には汚れてもよい服装で来てしまうので、いつも色褪せたボロを身にまとっている。こんなボロはニホンに帰ったら捨ててしまえ、と旅行中は思うのだが、家に帰るとかといって他の服があるわけでもないので、なんとなく着て、友達に会いに行ってしまったり、会社に出勤してしまったりする。つまりいつだってボロをまとっているのである。

悪い癖

数年前に腕のあまりよくない歯科で歯の矯正をしたせいで、歯に隙間ができてものがよく詰まる。毎食詰まるので、その度歯を磨くか、でなければ楊枝でシーハーする。そしてこのごろは、その隙間のあたりをキューッと真空状態にする癖がついた。うまく説明できないけど、キューッと空気を吸い尽くす感じの。そしてその後に再び空気を流し込むと、クチャッと言う音がして、とても下品である。無意識にやっていて、ギョッとする。

コミディケーション

一人旅でお腹が案外繊細なので夕飯をどうするか、結構いつも悩む。ビールが飲めれば大体満足だから、焼いた肉と野菜がちょっとつまめればいいな、と思って街をプラプラしていたら、とても良さげな店があり、店先で肉がいい色に焼かれている。いいなー、うまそうだなー、と思っていたら横のテーブルの男性客が、食ってみろと自分たちのテーブルの皿を指差す。最初は、いやいやいいっす、と断っていたが、たしかにうまそうなので、お言葉に甘えた。肉はうまかった!キャベツやミントに挟んで食べる。タレもうまいし、最高。まぁ、飲みなよ。とビールまでご馳走になり、結局店が終わるまで居座ってしまった。

その人は現地の人で週末を利用して旅行に来ていた。(東京から箱根に行くような感覚ね。)言葉はあまり通じなかったが、互いに片言の英語で、お互いの英語のできなさをネタにして大笑いしながら飲んだ。10年も勉強してそれ!?と笑われ、俺は四年しか勉強してないけどこんだけ喋れるぜ、と言い、コミディケーションという言葉は知ってるか?と偉そうに聞いてくる。なにそれ知らない。コミュニケーションじゃなくて?いや、コミディケーションだ。えっ、ちょっと書いてみてよ。しかし、知らないスペルである。こんな単語ないよ!と反論すると、10年も勉強したのに知らないの!?と一通りバカにしながら、じゃあ聞いてみよう。と隣のテーブルの西洋人に声をかけようとする。やめなよ!私たち酔っ払ってるから、彼ら思うよ…(うぜーって英語でなんて言うんだろう、わかんないや)ファック、って!それは困るなアハハ…というようなやりとりを二度ほど繰り返し、ヘイ、コミディケーションって言葉の意味を俺たちに説明してくれ、と西洋人に頼んだらば、お互いにお話をする事よ。と、やはりそれはコミュニケーションなのであった。

いろいろご馳走になって、その後、旅行者で溢れかえるバーでまたご馳走になった。ものすごい盛り上がりで、トイレに行っている間にはぐれてしまった。だからちゃんとお礼が言えてない。


異国にて

旅行に来ているのだが、こちらに住んでいる邦人向けのフリーペーパーを手にとって読んでいたら、還暦を過ぎてこちらの国に移住したという男性のコラムが載っている。読むと内容は、最近食堂の厨房の仕事を手伝い始めた。スタッフは他に、オカマとオナベである。とある。若い人たちと三人、楽しくやっているようである。オカマの人とは、尻を触り合う仲で、オナベの人の尻を触ると怒られる。最近は全然関係ない人からも尻を触られるようになった。尻を触り合うことがニホンの挨拶だと誤解されているかも!とまぁ明るい内容である。

なるほどこういう生き方もあるのだな、と読んでいたら、コラムの最後に編集部のコメントがあり、この男性が昨年末に現地で交通事故で亡くなった、とあった。なるほどこういう生き方もあるのだな、と思った。