教習所 6日目

ひとコマだけ実技の予約が取れたので教習所に行った。ちょっと面倒くさい気もしたが、このままのペースでは教習期限内に免許が取れないので、行けるときは行くことにした。

また同じ項目を3回目である。前回、前々回ともに若い教官だったけど、いっちょ気分を変えてベテランにお願いすることにした。ただ、あまりベテランすぎると怖いので、ベテラン枠の中のややライトに見える人を選んだ。

ややライトなベテラン教官はよく喋る人だった。あなたね、自転車乗るときにハンドルを見?と、語尾のところで質問に切り替えてくる話法で、私はそれに合わせて、…ないです…と答えた。

ベテラン氏は、語尾質問話法を繰り返しながら、若い教官は教えてくれなかった様々なことを教えてくれた。さすがベテラン。しかし質問が多過ぎて、運転がお留守になり、そのたびに大声で注意された…!二、三十代だったら泣いてたかもしれないけど、四十代だから耐えられる…そして内心、これ!これこそ教習所!と思った。

ベテラン氏が言うには、最近の若い教官はアンケートが怖いからあまり怒らないけど、私なんかの世代の教習所は怖かったからねーとのことで、たしかにさっき注意されたとき、一瞬、バカ!って聞こえたけど、当時はそれどころじゃなかったんでしょうな…そして教官の年齢は私とほとんど変わらないのだった。

こうして怒られまくって授業は終わり、お情けでハンコをもらえた。そして、ああ自分は古い世代の人間なんだなぁということを思った。

教習所 5日目

今日も教習所に行く。実技は1コマ、学科が2コマ。

実技は昨日できなかったところをもう一度やりました。ところで、昨日の日記で、加速と停止で躓いたと書いたけど、私が躓いたのは「速度の調節」でしたよ。さすがにアクセルとブレーキは踏める。

というわけで今日も私の半分くらいしか生きてなさそうな教官のアドバイスを受けながら、教習所のコースをぐるぐる回る。うーん、結論から言うと、ハンコもらえなかった。ははは。

角を曲がるときの車のスピードが速い、そして曲がるときに必ず車線をはみ出す、曲がったあとハンドルがちゃんと戻せない…という理由で、また次も同じ内容をやることになりました。ほんと、安心パック入っておいてよかった。しかし、こんな初歩でまったく先に進めないとなると、今後どうなるのだろう。

学科は学科で、舐めてかかっていたけど、先週習ったところを振り返ったら、まったく記憶になかった。へぇーなんて、新鮮な気持ちでテキストを読んでしまった。

暇があると、教習所 実技 で検索してしまう。同じように躓いている人がいるとうれしい。

教習所 4日目

実技3回目。今日は、加速と減速。あと本当は角を曲がる練習もする予定だったのに。

私は私と付き合ってもう40何年だから、驚きはしないんだけど、加速と減速という初歩の段階で躓いてしまった!アクセルを踏みながら、曲がり角が近づくと、体育の時間によく感じていた、頭と心と体が一致しない状態になり、あれ?ブレーキ?あれ?ハンドル?あわわ。すると、自分より一回り以上年下の教官にブレーキを踏まれ、どうしてブレーキ踏まなかったの?と感情をオフした低めの声で詰問され、ますますあわわとなるのでした。こうして1時間が過ぎ、次回もう一回同じのやりましょう、と言われました…。

この段階で躓いてるの私くらいだろうなぁ…。

でも私は自分歴が長いのでね、こういうの慣れっこ。運動会のダンスの練習もいつも最後まで残された。慣れっこ。しかも何度授業を受けても追加料金不要の安心パックに入っておいたので、とりあえず明日も加速と減速を頑張ろうと思います。

教習所 3日目

もう四十も半ばだが、車の免許を取ることにした。教習所通いの記録をつけることにする。


教習所3日目。はじめての実技。


今、教習所はめちゃくちゃ混んでいて、理由は春のコロナ休校のしわよせとキャンパスライフを楽しめていない学生さんが免許を取りに押し寄せている、ってことらしいが、入校して一週間目でようやく実技の予約が取れた。2コマ。

1コマ目は、教室でゲーセンの機械のような座席に座り、ハンドルの持ち方、アクセル、ブレーキ、サイドブレーキなんかを習った。私はこんなに長いこと生きていて、どっちがアクセルで、どっちがブレーキなのか知らず、それが密かなコンプレックス(時々夢で見る)だったので、それが解決されてよかった。教習所通いの目的の7割は達成した気がする。よし。それにしても運転というのはやることがいっぱいありすぎて、不安だ。

実技2コマ目。本物の車に乗った。

生まれて初めて運転席に乗った。遊園地のゴーカートだって絶対乗らなかった私だ、やだ怖い。

車という奴は隙あらば動こうとする。エンジンを入れて、左のレバーをDにして、サイドブレーキを下げると、しれーっと前へ動いていく。常にブレーキを踏んでいなければならないなんて知らなかった。あの人もこの人も運転中はブレーキを踏んでいたのか。親しい人たちの知らない一面を知ってしまった気分で、すこし落ち込んだ。

教習所のコースをぐるぐる周った。まったく感覚が掴めない。曲がる時、どのタイミングで減速して、ハンドルをどのくらい回せばいいのか。曲がったあとはハンドルをどのくらい戻せばよいのか。まっすぐ走れていないのはなぜ。などなど。アクセルを踏むのも恐ろしく、車の動きたがる性質を利用して運転した…。ベテランの女性教官は、加速したりブレーキかけたりは自転車と同じようなものだとアドバイスをくれたが、そもそも自転車運転も危ういことを思い出してしまって逆効果だった。

何も掴めないまま五十分の授業が終わった。本当に運転できるようになるのだろうか。

9月のこと

お母さんが死んでしまった。春に血液の病気が見つかり、それから入院している間に他にもいろいろな病気にかかり、治療を重ねていた。夏になると、もう治療は止めて家に帰りたいと言うようになった。ずいぶん痩せてしまったし、毎日点滴を続けた腕は細く、青くあざができていた。
私は子供の頃からどちらかというと母が苦手で、母も私のことは育てにくいと思っていたらしい。それでも、私が一人暮らしを始めて互いに距離ができてからはうまくいくようになったと思う。二人で旅行にも行った。母は、毎週末私に電話をくれた。関係がうまくいくようになった、といっても私の態度は素っ気なかったから、母は電話するのに毎回とても勇気が要ったそうだ。
その話を聞いたのは、退院した母の背中を拭いてあげている時で、ああ悪いことしたな、と思った。自宅療養は1週間ちょっとで終わってしまったけれど、その間は色々な話をした。だから、悲しいけれど、後悔はない。
自分が死んでもそのことでメソメソするなと言われたが、この先も、ささいなことを思い出しては泣いたりするんだと思う。ぴえん。

放置の穴

連休はたまに近所を散歩するくらいで、ずっと家の中で過ごしていた。一人でごろごろしている時、無意識にヘソに指を突っ込んでしまった。

昨年末の腹腔鏡手術の際、ヘソに穴を開けカメラを腹の中に入れた。ヘソというものはみなさんご存知の通り、複雑な構造をしている。そんな複雑な状況にある傷跡をあまりいじくらない方が良いだろう、と手術後はそっとしておいた。

そしてヘソのことをすっかり忘れていた。そんな時だ、うっかり指を突っ込んでしまったのは。ヘソは、かつてないほど固くなっていた。恐るおそる、指先の匂いを嗅ぐと、とても臭かった。

あれからもう5ヶ月も経ったのだな、と思った。

手術後3ヶ月経った

手術後3ヶ月が経ったので、紹介状を持って以前通っていた町の病院に行った。

診察の前に受付表を書くように言われ、女の人だとわかると思うけど、最後の生理がいつからで何日周期で、みたいなことを書く欄がある。うーん、ないしなぁ…と悩んで空欄で提出したら、書いてください、と言われた。受付表の下の方に、手術内容とか記入してるのに随分無神経だなと思いながら、あの、でも、もうないんで、と答えた時に、心にスッと、ないんだなぁ、と寂しい気持ちが掠めた。結局、手術前の最後の生理の年月日を記入した。

内診。きれいに治ってるし、エコーで見ると卵巣も異常なしなので、また一年後に来てくださいと言われた。最後に、なにか質問は?と言われた時、あ、夫婦生活…と思ったけど、独身なのに夫婦生活って変だよななんて思ってしまって咄嗟に言葉が出ずに、あ、じゃあもう普通に生活していい感じですかね?と聞いたら、そうだと言われた。普通に生活していこうと思う。

アトファインはまだ貼り続けている。